【遠州七不思議】今も昔も旅人を惹きつける「小夜の中山 夜泣き石」の伝説
皆さんは「小夜の中山 夜泣き石」をご存知でしょうか?
静岡県掛川市にあるこの石は、江戸時代から伝わる悲しい伝説と、どこか神秘的な雰囲気で、今も昔も旅人を惹きつけています。
そんな「小夜の中山 夜泣き石」について、その伝説や見どころを詳しくご紹介します。
このページの目次
小夜の中山とは?
小夜の中山は、静岡県掛川市にある峠道です。
かつては東海道の難所として知られ、多くの旅人が行き交っていました。
その歴史は古く、万葉集にも詠まれているほど。現在では、ハイキングコースとしても人気があり、豊かな自然と歴史を感じることができます。
夜泣き石伝説
小夜の中山で最も有名なのが、「夜泣き石」の伝説です。
むかしむかし、お石という妊婦が、京都へ行ったきり戻らない夫を待ちわびていました。夫は「暮らし向きがよくなったら迎えに来る」と言い残して去ったのですが、音信不通のまま、お石は貧困に苦しむことになります。
ある日、お石は家宝の刀を売って食料を得ようとしますが、山賊の轟業右衛門に襲われて殺されてしまいます。幸いにも、刀がお腹を貫通する前に石に当たったため、お腹の子は無事でした。
その夜、お石の霊が近くの石に乗り移り、赤ちゃんの泣き声のような音を立てて泣いたことから、里人はその石を「夜泣き石」と呼ぶようになりました。
この伝説には、いくつかのパターンがあります。
子供が母の仇をを討つ!
お石の赤ん坊は無事に生まれ、近くの久延寺の和尚に育てられます。そして成長した赤ん坊は、母の仇である轟業右衛門を探し出し、ついに運命の対面を果たします。
激しい戦いの末、赤ん坊は轟業右衛門を討ち果たし、母の仇を討つのです。母子の強い絆と、悪に対する正義の勝利を描いたこのパターンは、勧善懲悪の物語として、広く語り継がれています。
山賊が深く後悔する
轟業右衛門はお石を殺したことを深く後悔し、罪の意識に苛まれます。そして、自らの人生を悔い改め、出家して僧になります。以後、轟業右衛門はお石と赤ん坊の菩提を弔うために、生涯を仏道に捧げるのです。人間の心の葛藤、そして贖罪と許しを描いたこのパターンは、仏教思想の影響を色濃く反映しています。
夜泣き石を見に行こう!
小泉屋の裏山から
伝説の夜泣き石は、小夜の中山トンネル手前の小泉屋というお店の裏山にあります。
石段を登ったところに、ひっそりと佇んでいます。
久延寺にも
境内にも夜泣き石があり、こちらは小石姫を弔うための供養塔とされています。
小泉屋名物「子育て飴」
小泉屋さんでは、伝説にちなんだ「子育て飴」を販売しています。
⭐️ 4.2(196)
🚩 静岡県掛川市佐夜鹿57−8
📞 0537-27-1010
🕰️ 9:00〜18:00
🗓️ 水曜定休
小夜の中山 夜泣き石へのアクセス
⭐️ 3.6(139)
🚩 静岡県掛川市佐夜鹿
🚗 東名高速道路 掛川ICから約20分
小夜の中山 夜泣き石まとめ
「小夜の中山 夜泣き石」は、悲しい伝説と神秘的な雰囲気を持つ、歴史深い場所です。
- 夜泣き石は、滝沢馬琴の『石言遺響』や歌川広重の浮世絵にも描かれており、江戸時代から広く知られていました。
- 遠州七不思議の一つにも数えられています。
- 小夜の中山には、他にも見どころがたくさんあります。ぜひ周辺の観光も楽しんでください。
ハイキングコースとしても整備されているので、自然を感じながら、伝説に思いを馳せてみてはいかがでしょうか?
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