静岡市|清水の発展に尽力!清水次郎長の功績を語る江戸末期の生家と船宿を散策
清水の次郎長というと、静岡人なら子供の頃からよく耳にする名前ですよね。
けれども「海道一の大親分」とか「侠客」などの肩書きもあり、どういう人物だったのか謎の多い部分もありました。
そこで、清水をぶらりと探索しながら、幕末から明治に活躍した次郎長の姿を追ってみたいと思います!
江戸末期に建てられた生家を改修
エスパルスドリームプラザより徒歩約15分、清水区美濃輪町に次郎長が生まれた「清水湊次郎長生家」があります。
商店街に溶け込むように佇む生家は時代の雰囲気を醸し出しており、貴重な資料や当時の生活を肌で感じられる場所です。
江戸末期の雰囲気をなるべく受け継ぐため、当時の部品や素材をできる限り使用しつつ改修されているとのこと。
創建当初の姿に近づけられるよう、専門家の意見や様々な情報を取り入れながら、NPO法人次郎長生家を活かすまちづくりの会によって復元されています。
生家として受け継がれてきた生活用品や次郎長の愛用品など、歴史的資料を一つひとつ眺めながら、清水の発展にどのような貢献をしてきたのかが学べるスポットなんです。
写真の展示もあるため、実在していた人物としてより身近に存在を感じられるかもしれませんね。
社会事業家としての次郎長物語
名前は聞いたことがあるけれど、どのような活躍をされていたのか気になるところです。
江戸から明治へと変革の波が大きく押し寄せる時代。
生家や次郎長が活動の拠点にしてた船宿の資料によると、江戸の無血開城を陰でサポートしたり、清水港の整備や地域文化の再興を目指したり、英語塾を開校するなど多くの功績が紹介されています。
社会事業家として歴史に名を残した次郎長ですが、渡世人(博打打ち)の大親分であった時代に道が開くように転機が訪れます。
駿府差配役判事(警察長官兼裁判官)の伏谷如水より、街道・清水港警固役つまり現在の警察署長に任命されるのです。
しかも、過去の罪科や帯刀が許されるという信じ難い待遇で、地域の治安を守ることになりました。
その後、文武両道を極めた山岡鉄舟との出会いもあり、次郎長の運命は大きく変わっていきます。
上述以外にも、東海道線の工事請負や富士の裾野の開拓、地域医療に取り組むため医院を開設するなど時代を奔走します。
暴れん坊だった!?幼少時代
多くの大人物に認められるようになったのは、次郎長の歩んできた幼少時代や渡世人時代に理由があるようです。
次郎長の本名・山本長五郎は、わんぱくで暴れん坊の幼少時代であったと伝えられています。
生家より出された養子先での折り合いが悪く、由比の親戚衆に預けられるなど問題児とされていました。
15歳で家出後、米相場であてた一攫千金を手に養子先へ帰郷。
米屋の後継として真っ当に働き始めます。
次郎長という名はどこから?
ちなみに養子先・山本次郎八の息子・長五郎であることから次郎長と呼ばれるようになったとのこと。
家業の米屋を繁盛させた次郎長は、旅の僧から短命を宣告され、一新侠客の世界を目指します。
この切り替えも魅力的なストーリーの始まりだったんですね。
肝の据わった侠客の大親分
侠客(きょうかく)とは「強きを挫き、弱きを助ける」を建前にした渡世人(博打打ち)のことをいいます。
まさにこの男気を胸に大きなケンカの仲裁をしたことで、一躍日本中に名を轟かせるのです。
清水には次郎長ありと全国各地の親分をまとめ上げていきます。
山岡鉄舟ら大物が感銘を受けるきっかけも侠客としての心意気でした。
清水港にて新政府軍の攻撃を受けた旧幕府軍軍艦咸臨丸の犠牲者を海から収容し、手厚く弔ったのです。
その時、奉行所に呼ばれ、逆賊として詰め寄られるも「仏(死者)に官軍(善)も賊軍(悪)もない」と言った言葉は有名ですよね。
お上や役人にも怯まない肝の据わった人物として多くの人望を集めながら、数々の事業運営や立ち上げに協力していきます。
そのうちの一つ、清水港の発展への貢献では、製茶の輸出事業拡大を目指した国際港となるよう力を注いだと云われています。
74歳で閉じた生涯最後の場所、船宿「末廣」
清水港の整備や発展が、いずれは静岡や東海道を盛り上げる要所となることを見抜き尽力した次郎長。
清水次郎長の船宿として復元されている清水港船宿記念館「末廣」が清水区港町にあります。
平成11年に明治時代の部材がほぼ原型のまま現存していることが分かり、平成13年に柱や欄間、梁などを活かして復元されました。
当時の雰囲気を伝える大事な空間として、様々な展示資料と共に閲覧することができます。
晩年の住居であった末廣で、1893年6月12日、74年の生涯を閉じたと云われています。
徳川慶喜公から贈られた熨斗目や三井物産からの招待状など、当時の出来事を知る貴重な資料を間近で見られるのも末廣の魅力の一つです。
次郎長の旅姿コスプレを体感するのも面白いですよ。
ご紹介の施設詳細情報
◆清水湊次郎長の生家
住所 | 静岡県静岡市清水区美濃輪町4-16 |
---|---|
電話 | 054-353-5000 |
営業時間 | 【平日】10:00~16:00 【土・日・祝】10:00~17:00 |
定休日 | 火曜 ※祝日の場合は翌日 年末年始 |
入場料 | 無料 |
駐車場 | 無料駐車場あり ※4台分 |
アクセス | バス JR清水駅西口3番のりばからしずてつバス三保山の手線乗車→「港橋」下車→徒歩約5分 車 東名「清水IC」より約10分 |
HP | https://www.city.shizuoka.lg.jp/701_000001_00061.html |
◆清水港船宿記念館「末廣」
住所 | 静岡県静岡市清水区港町1-2-14 |
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電話 | 054-351-6070 |
営業時間 | 10:00~18:00 |
定休日 | 月曜日 ※祝日の場合は翌日 年末年始(12/29~1/3) |
入場料 | 無料 |
駐車場 | なし |
アクセス | バス JR清水駅西口3番のりばからしずてつバス三保山の手線乗車→「港橋」下車→徒歩約1分 車 東名「清水IC」より約10分 |
HP | http://www.portwave.gr.jp/suehiro/ |
歴史スポットで散策の後は、こちらの博物館もおすすめ
生家や末廣はとても落ち着いた空間を味わうことができ、ドリームプラザから一足伸ばしてゆっくりと歴史を感じられる場所です。
次郎長の足跡と共に、自分にも何かできることがあるだろうかと地域貢献に思いを巡らせてみるのも楽しいですよね。
末廣から生家までは徒歩5分ほどで行けるのも魅力的!
ここでは語り尽くせなかった次郎長の活躍は、ぜひ生家と船宿を訪れて触れてほしいです。
実はもう一箇所忘れてはならないのが、末廣より徒歩約5分ほどのところにあるフェルケール博物館。
清水の港の発展を貴重な歴史的資料と共に分かりやすく紹介されています。
今いる静岡の未来を明るく想像しながら、これからの地域や社会について次郎長と一緒に考えてみるのはいかがでしょうか。
住所 | 静岡県静岡市清水区港町2-8-11 |
---|---|
電話 | 054-352-8060 |
営業時間 | 9:30〜16:30 |
定休日 | 月曜日 ※祝日の場合は開館 |
入場料 | 無料 |
駐車場 | 無料駐車場あり |
アクセス | バス JR清水駅西口3番のりばからしずてつバス三保山の手線乗車→「波止場フェルケール博物館」下車すぐ 車 東名「清水IC」より約10分 |
HP | https://www.verkehr-museum.jp/ |
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